はじめに
白石町の杵島山中腹にある水堂安福寺では、藩政時代から続く庶民の信仰・出水法要が今年も営まれている。境内から湧き出る霊水を飲めば病が治ると伝えられ、期間中には、近郷近在から多くの参詣客が訪れることでしょう。
昨年、佐賀新聞で連載された「街道再発見」で紹介した「水堂さんへの道」は、いわゆる街道や往還ではないが、信仰の道として利用された道である。
JR佐世保線の前身である九州鉄道の北方駅が誕生したのが明治28年(1895年)であり、その後、鉄道を利用した「水堂さん」への参詣客は、北方駅を起点として歩いて往復したと云われている。(参考:大町駅は昭和3年(1928年)に開業、白石駅は昭和5年(1930年)に開業)
水堂さんへの道沿いには、道しるべが数多くみられ、多くの人々が水堂さんへ参詣されたことが窺い知れる。杵島山の西側、塩田町の南志田の国道沿いには、石仏の台座に「従是水堂 三十二丁(約3500m)と刻んだ道しるべを見ることが出来る。
北方駅から旧橋下村を通って杵島山東麓に繋がる水堂さんへの道沿いには、5つの道しるべを確認しており、そのうち4つが伊万里出身の実業家・松尾良吉氏が明治19年(1886年)以降、昭和5年(1930年)の長期にわたり建設した「道しるべ」の1つであり、参詣者をはじめ数多くの人々のために大いに貢献したものと思われる。
「すこ・水堂」の道しるべは民間信仰の史実を裏書する民俗資料でもあり、歴史の移り変わりを伝えてくれるものでもある。
番外編「道しるべで辿る信仰の道、水堂さんを行く」スタートです。
道しるべー芦原交差点ー
主要地方道武雄・福富線の芦原交差点に一基の道しるべが建っている。
東面「しんばし北方道」、南面「向白石水堂道」松尾良吉、西面「なるせしをた道」と刻まれた道しるべは、伊万里の実業家、松尾良吉氏が建てた「道しるべ」の一つである。
道しるべー蔵堂交差点ー
県道武雄・福冨線を東へ進んで行くと蔵堂で、水堂さんへの道は蔵堂の分岐点から南下して、白石町喜佐木(きさき)から馬洗(もうらい)へと進んで行きます。蔵堂の追分には、松尾良吉氏が建てた「水堂道」「六角道」と刻まれた道しるべが建っていたが、道路拡幅により往還から姿を消しているが、民家の庭先で見ることが出来る。(松尾良吉建立)
道しるべー馬洗ー
法泉寺参道の妻山神社への追分に一基の道しるべが建っている。
「向水堂近道」「くらどう北方道」「にしきえ道」と刻まれた道しるべは、北方駅から水堂さんまでの信仰の道沿いに建てられたうちの一基である。この場所には戦前まで饅頭屋があり、水堂さん参詣の人々が一息入れた茶店でもあったと云う(松尾良吉建立)
道しるべー馬洗ー
白石町馬洗の民家の庭先に「すこ水堂 北方武雄 道」、「六角 ひで 道」と刻まれた松尾良吉氏建立の道しるべが建てられている。この道しるべは向かい側の旧道沿いに建てられていたもので、家屋解体工事の際に持ち去られようとしていたものを、この家の当主が庭先に移され保存し、地域の文化財として守り続けられている。
道しるべー嘉瀬川ー
船野地区、嘉瀬川堤の堰堤下には自然石に「左 水堂みち」と刻まれた道しるべが建っています。地元の古老は、以前は東側の旧三叉路にあったと云い、道筋が変わったことにより、現在の位置に移っている。
路傍の石造物
嘉瀬川堤の堰堤を過ぎたところに、一群の石造物が見られる。左側から天保10亥(1839年)6月吉日と刻まれた「金毘羅大権現」、元禄6年癸酉年(1693年)6月吉祥日「天照皇太神宮」、延宝4年丙辰(1676年)春2月11日「天照皇太神宮」寛政6甲寅年(1794年)「青面金剛」が確認できる。
また、しばらく進んで行くと、水堂さんへの参詣道が登りに差し掛かる嘉瀬川公民館横にも巨大な板碑などが建ち並んでいる。なかでも、縦長の自然石の「築観世音石坂供養塔」は寛文9年已酉(1669年)春3月吉日の造立銘があり、下方二段に分けて32名の名前を刻んであり、現世の安穏と後生(来世)において善所(処)に生まれることを願い、石坂を築いた記念に建てたものだろうか。
道しるべー須古小学校前ー
須古小学校前の三叉路に「北 宮之下蔵堂に至る」「東 左 馬田六角福治駅に至る 右 高町廻里津に至る」「水堂迄拾五町」と刻まれた道しるべが建っている。この道しるべは日露戦争勝利30周年を記念して昭和10年(1935年)3月に建立されたもので、水堂まで15町(約1.6㎞)であることが記されています。
当日配布資料より
